PC/AT互換機

その他

今も現役?AT互換機について解説

- AT互換機とは?1980年代から1990年代にかけて、パーソナルコンピュータが広く普及した時代がありました。その影には「AT互換機」と呼ばれるコンピュータの存在がありました。「AT互換機」は「IBM PC/AT互換機」を省略した名称で、当時世界的に大きなシェアを誇っていたIBM社の「IBM PC/AT」という機種の構造を参考に作られました。IBM PC/ATは、それまでのパーソナルコンピュータと比べて処理速度が速く、より多くのデータを取り扱うことができたため、業務用としても広く使われていました。しかし、その当時のコンピュータは非常に高価で、一般の人々が気軽に買えるものではありませんでした。そこに登場したのが、IBM PC/ATの構造を真似て作られた「AT互換機」です。多くのメーカーがAT互換機を製造販売したことで、価格競争が起き、パーソナルコンピュータの価格が大きく下がりました。その結果、企業だけでなく、一般家庭にもパーソナルコンピュータが普及していくことになったのです。AT互換機は、基本的な構造が同じであったため、異なるメーカーの製品であっても、接続やデータのやり取りがスムーズに行えました。これが、ソフトウェア開発を促進し、様々な種類のソフトが開発される土壌となりました。そして、多くのソフトが利用できるようになったことで、AT互換機はさらに多くの人々に受け入れられていきました。このように、AT互換機は、その後のパーソナルコンピュータの普及に大きな影響を与え、現代の情報化社会の礎を築いたと言えるでしょう。
インターフェース

懐かしのPS/2コネクタとその歴史

-PS/2とは?- 「PS/2」と聞いて、皆さんは何を思い浮かべるでしょうか?もしかしたら、少し前のパソコンを思い出す方もいるかもしれませんね。「PS/2」は、1987年にIBMという会社が発表した「Personal System/2」というパソコンの略称です。 しかし、普段の会話で「PS/2」と言った場合、このパソコンそのものを指すことはあまりありません。一般的には、このパソコンで初めて使われるようになった、マウスやキーボードを接続するための端子のことを指します。 この端子は「PS/2ポート」と呼ばれ、マウスやキーボードをパソコンに接続する際に広く使われてきました。 PS/2ポートは、丸い形をしていて、接続する機器によって色が決まっているのが特徴です。例えば、マウスを接続するポートは緑色、キーボードを接続するポートは紫色と決まっていました。 しかし、現在ではUSBという、より高速で使いやすい接続方式が主流になっており、PS/2ポートは徐々に使われなくなってきています。それでも、一部のキーボードやマウスは、現在でもPS/2ポートに対応した製品が販売されています。
ソフトウェア

DOS/V機:日本語対応パソコンの誕生

- DOS/V機とは1990年代初頭、それまでの日本のパソコン業界に革命を起こすように登場したのがDOS/V機です。従来のパソコンは、日本語を扱うために高価な専用機が必要で、一般の人々にとって非常に高価なものでした。しかし、DOS/V機の登場によって、日本語を使うための敷居は大きく下がりました。DOS/V機は、アメリカのマイクロソフト社が開発したMS-DOSという汎用的なオペレーティングシステムを採用し、そこに日本語表示機能を追加することで、低価格ながらも日本語を扱うことを可能にしました。これは、従来の日本語パソコンとは全く異なるアプローチでした。従来のパソコンは、ハードウェアとソフトウェアが密接に結びついていましたが、DOS/V機は、汎用的なハードウェアとソフトウェアを組み合わせることで、低価格化を実現したのです。このDOS/V機の登場は、日本のパソコン市場に大きな変化をもたらしました。多くのメーカーがDOS/V機に参入し、競争が激化した結果、パソコンの価格は急速に低下しました。そして、パソコンは、一部の専門家のためのものから、一般の人々にとって身近なものへと変わっていったのです。 DOS/V機の登場は、日本のパソコン普及の大きな転換点と言えるでしょう。
ソフトウェア

DOS/V:日本のパソコン普及を支えた立役者

- DOS/Vとは?1990年代初頭まで、日本のパソコン市場は、NECのPC-9800シリーズが大きなシェアを占めていました。これらの機種は、日本語表示や処理性能に優れていましたが、海外製のパソコンと比べて価格が高く、互換性が低いという側面がありました。そのため、海外で開発されたソフトウェアをそのまま利用できないケースも少なくありませんでした。このような状況の中、1990年に日本IBMが発売したのがDOS/Vです。これは、マイクロソフトのMS-DOSをベースに、IBMが日本語表示機能を追加したオペレーティングシステムです。DOS/Vを搭載したパソコンは、PC/AT互換機と呼ばれる海外製の規格に準拠しており、安価であることが特徴でした。DOS/Vの登場は、日本のパソコン市場に大きな変化をもたらしました。まず、低価格なパソコンが普及し始め、多くの人がパソコンを気軽に利用できるようになりました。また、海外製のソフトウェアがそのまま利用できるようになったことで、ソフトウェアの選択肢が大きく広がりました。DOS/Vの成功は、その後のWindowsの普及にも大きく貢献しました。現在では、PC-9800シリーズは姿を消し、DOS/Vが日本のパソコン市場の標準となりました。そして、DOS/Vは、日本のパソコン業界にオープン化をもたらした立役者として、歴史に名を刻んでいます。
インターフェース

パソコンの進化を支えた「ATX」規格

- ATXとはATX(Advanced Technology eXtended)は、パソコンの基盤となるマザーボードの規格の一つです。マザーボードは、パソコンの頭脳であるCPUや情報を一時的に記憶するメモリ、周辺機器を接続するための拡張スロットなどが配置された、いわばパソコンの心臓部と言える重要な部品です。このマザーボードの大きさや形状、搭載できる部品の種類などを定めたものが規格であり、ATXはその中でも現在最も広く普及している規格です。ATXは、1995年にインテルというアメリカの企業によって提唱されました。それまで主流だったAT規格と比べて、ATXはいくつかの点で革新的な進化を遂げています。例えば、CPUやメモリのスロットの位置が変更されたことで、パソコン内部の空気の流れが改善され、より効率的に冷却できるようになりました。また、拡張スロットの規格も変更され、より高速なデータのやり取りが可能になりました。これらの進化により、ATXはそれまでのパソコンと比べて、組み立てやすさと拡張性が飛躍的に向上しました。また、ATX規格を採用したマザーボードは、様々なメーカーから製造されるようになり、価格競争も促進されました。結果として、ATXはパソコンの低価格化にも大きく貢献し、今日のパソコンの普及につながったと言えるでしょう。
IT

パソコンの標準機!IBM PC/AT互換機とは?

1980年代に姿を現したIBM PC/AT互換機は、当時のビジネスシーンに革命を起こしたパーソナルコンピュータ、IBM PC/ATと同じように使えるように作られたコンピュータの総称です。IBM PC/ATは、それまでのコンピュータとは一線を画しており、その後のパーソナルコンピュータのお手本となる存在でした。 IBM PC/ATの登場によって、多くの企業が互換機の製造と販売に乗り出し、パーソナルコンピュータは爆発的に普及していくことになります。 IBM PC/AT互換機は、IBM PC/ATと同じような部品構成で作られており、ソフトウェアも共通して使うことができました。この互換性のおかげで、様々なメーカーが参入しやすくなり、競争が促進されました。その結果、低価格化と性能向上が進み、パーソナルコンピュータはより多くの人にとって身近なものとなっていったのです。 IBM PC/AT互換機は、現代のパーソナルコンピュータの礎を築いた存在と言えるでしょう。今日私たちが当たり前のように使っているWindowsパソコンも、この互換機の流れを汲むものです。IBM PC/AT互換機の登場は、パーソナルコンピュータの歴史における大きな転換点となり、情報化社会の進展に大きく貢献しました。
CPU

パソコン時代を築いた立役者! 80286

1982年、インテル社から発表されたマイクロプロセッサー「80286」は、コンピューター業界に新たな風を吹き込みました。このCPUは、前身の「8086」の設計思想を受け継ぎ、16ビットのデータ処理を得意としていました。これは、当時の主流であった8ビットCPUと比較して、一度に扱えるデータ量が2倍に増加したことを意味します。これは、画像や音声といった、より多くの情報量を必要とするデータの処理能力が飛躍的に向上したことを意味し、処理速度の向上に大きく貢献しました。 80286の登場は、パーソナルコンピューターの性能向上を加速させ、より高度なソフトウェアの開発を促進するなど、その後のコンピューター業界に大きな影響を与えました。このCPUの登場により、より複雑な計算処理や、より高精細な画像処理が可能となり、コンピューターはより身近で、より実用的なものへと進化していきました。